山上の食人種

2025年12月24日

 今年書き送ったビルマ語原稿は4本。うち3本が追悼文だ。気も滅入る。だが、かの国のあの有様やご遺族の心情を慮って、わが身に鞭打った。故人のひとりは、知の巨人でビルマ語・ビルマ文学者のマウン・キンミン(ダヌピュー)(享年83歳)だ。1997年から2年間、大阪外国語大学で客員教授として勤務した。深い知性と温かな徳性で学生たちに愛された。わたしが日本占領期文学研究のためヤンゴン大学ビルマ文学科に2か月通った2002年には、主任教授として身元保証人となり、図書閲覧の便宜も図ってくれた。
 彼の訪日体験記『大阪の客人』(2009)によれば、彼は滞在中多数の書籍を収集した。その中に『ビルマの竪琴』英語版がある。彼は同書にビルマ人を貶める記述を見出した。第一にビルマの僧侶が竪琴を弾く、第二にビルマ人が享楽的で努力をすることに欠けるとされる、第三にビルマの山上に野蛮な食人種が住むなどを、彼は指摘した。とくに第三点は重い。「食人種」は、ストーリー展開上重要な役割を与えられる。にもかかわらず、何冊か翻訳出版された同書ビルマ語版からも、日本で2回製作された映画からも、「食人種」のエピソードは削除されている。
 三部から構成される同書の謎解き部分である「第三話 僧の手紙」で、主人公水島の体験として「食人種」との出会いと暮らしが語られる。水島は、敗戦後も降伏しない部隊の説得に派遣され、崖から落ちた。人事不省の彼を救ったのが「食人種」だった。彼らは、水島を肥え太らせ、祭の生贄として食すつもりだった。食される寸前、水島の鳴らす竪琴が強風を招来して神木を震わせる。その威力に敬服した酋長は彼を解放し、娘の婿にとりたてるべく、今までの斬首数を尋ねる。それが皆無だと知って酋長は怒り、やはり水島を食すと宣言するが、酋長の娘が命乞いをする。娘は水島に僧衣と高僧の持つ腕輪を与える。それらは彼の安全な移動を保障した。僧衣と腕輪は、彼らが以前に捕えて食した高僧の遺品であろう。だがビルマ仏教の戒律では、出家は装飾品を身に着けない。歌舞音曲も避ける。かくして、竪琴を弾く偽僧侶の誕生が、山上の「食人種」によってもたらされた。「食人種」には、以下のように民族名も与えられた。
 「爺さんにこの種族の名をきくと、カチン族だといいました。カチン族といえばきいたことがあります。これは二十四五万もいる種族で、お尻のあいだに長方形の木の板をはさみ、山を下るときにそれを使って滑り落ちるので飛ぶようにはやい。かれらは首狩りをして、人間の肉を食う」(竹山道雄『ビルマの竪琴』昭和42年新潮文庫版152頁)
 カチン人がこれを読めばどう思うだろう。カチン(ジンポー)族は生贄を捧げる宗教儀礼を持つが、銀細工と精巧で美しい衣装をまとう。豊穣の概念と結合した首狩りの風習を持ったのは、ナガ族とワ族だ。だがその風習は、第二次大戦以前までしか確認されていない。ビルマの山上に「食人種」は存在しなかった。民族名は、後に作品から削除された。民族名はマウン・キンミンが読んだ英語版からも削除されたのか。聞く機会を逸している間に、彼は逝った。一方、改変された映画で感涙にむせんだ日本人客目当てに、いまも土産物屋には大小ミニチュアの竪琴が並ぶ。
 さて、カチン州第二の町バモー市の8割が「国軍」の空爆で瓦礫となったが、KIA(カチン独立軍)と「国軍」の戦闘は続行中だ。また、中国の圧力に屈したパラウン族のTNLA(タアン民族軍)は、11月末にマンダレー地域モウゴウ市を「国軍」に明け渡した。多数の住民が避難していく中で、友人N(本便り25年10月4日参照)はまだ市中にとどまっているようだ。周辺ではPDF(国民防衛隊)と「国軍」の戦闘が続く。
 12月10日の国連人権デーには、10時から15時まで外出を控えるサイレントデモが呼びかけられた。「国軍」は店舗を開くよう圧力をかけたが、翌日のSNSには、町々の深閑とした風景が多数投稿された。同じ10日、「国軍」はAA(アラカン軍)支配下のラカイン州ミャウウー市の病院を空爆し、33名が即死した。12月は、第一週だけで空爆が49回、市民の死者は57名だった。空爆と虐殺にまい進しながら「国軍」は、28日にいかさま選挙(便り25年11月21日参照)第一次投票を実施するらしい。18日にKIA司令官は、彼らの支配地域でいかさま選挙は実施させないと宣言した。

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。ビルマ文学研究者・翻訳者。