
2025年8月31日
日本占領期(1942-45)に書かれた小説や、日本占領期を舞台とする戦後小説の書き手が、後日書いたノンフィクションを読むのが、ここ数年来わたしの課題だ。最近読み終えたのは、戦前から作家として名を成していたヤンアウン(1903-94)の回想録『40年の文学の旅』(1967)だ。同書によれば、当初多くの市民同様、彼も日本がビルマを英国の支配から解放する救世主だと思い込んだ。しかし日本兵を目の当たりにして、すぐさま彼は認識を改めた。日本兵は民家に上がり込み、金品を強奪した。とくに時計と万年筆は大人気だった。薪代わりに家具が燃やされた。荷物の運搬に人や牛馬が拉致された。拉致から逃れようと逃走中、力尽きて死んだ男性、売春婦と間違えられて拉致され、戻ってこなかった新妻、妻を取り戻そうと日本軍駐屯地に赴き、半殺しの目に遭ったその夫など、犠牲者たちについての記述もある。この部分を読んだ翌日、朝刊1面で前日の「全国戦没者追悼式」の写真を目にした。「全国戦没者の霊」の墨字に、顔から火が出る思いを味わった。追悼の対象をこの程度の範囲に限定してはなるまい。
同書には、日本占領期の文学界に関する貴重な証言も見られる。第一は、日本軍の宣伝活動の一環として結成された作家協会が、1943年末に上演した文士劇『ウィザヤ(王子名)』だ。王位簒奪未遂事件を題材に書かれたビルマ族王朝時代末期のこの名作を、作家トゥカ(1910-2006)が脚色し、王子役も演じた。王子の蛮行に日本軍のそれを重ね合わせた観客は熱狂した。トゥカとスタッフは、日本軍に尋問され、脅しも受けたが、事なきを得た。第二は、日本軍特務機関が創設したビルマ軍による検閲だ。彼らの関心は日本軍人の形象化より、むしろビルマ軍人の形象化にあった(『ビルマ文学の風景』pp.36-38)。ヤンアウンの長編『兵士と愛妻』(1943)も検閲された。日本語に堪能なビルマ人検閲者は、日本人から見れば不都合な叙述を黙認し、出版を許可したという。
同書が語る日本軍の蛮行に、「国軍」の戦争犯罪が重なって見える。越境した既視感が逆流する。日本軍の遺伝子を継承したビルマ軍は、独立後「国軍」となり、いま市民から「ファシスト」軍と呼ばれる(ミャンマー便り23年8月1日参照)。彼らは7月31日に「軍評議会」を解散し、8月1日に「国家治安平和委員会」の設置や12月の「総選挙」実施などを発表した。同日、日本の外相は彼らに、暴力即時停止、アウンサンスーチーら政治犯釈放、民主的な政治体制回復などを求め、久々の意思を示した。中国の支援に意を強くする「国軍」は、投票機を大量に購入したが、不正操作の可能性も囁かれる。SNSには偽アカウントによる「国軍」支持投稿が増加した。彼らは「総選挙」実施への布石として、支配地域拡大を狙い、陸海空軍総動員で市民殺戮に狂奔する。余震の頻度は減少したが、空爆は連日だ。医療施設、学校、僧院、避難所もお構いなしだ。8月前半のマンダレー地域モウゴウ市の空爆死者は、39名に達した。季節柄大雨による水害も各地で生じている。25日には、シャン州タウンヂー市の赤十字議長の支援物資横流しが報じられた、彼は元空軍少佐だった。
さてSNSが日々報じる「国軍」の死者や投降者は、市民や革命軍の死者数を遥かに上回る。NUG(国民統一政府)は既に拠点を解放区に移し、総面積マレーシア並みの解放区各地を主要閣僚が激励に訪れた。8日の88年民主化闘争記念日(同24年8月30日参照)には、世界各国で8のビルマ数字を書いた傘をさすデモが行われた。国内でも昨年よりデモが増え、ヤンゴンでは傘デモに加え、バス車内に8を書いたTシャツ姿で座る若者の動画も流れた。その大胆な行動は、既視感をも凌駕する。時・場所は不明だが、投降した「国軍」幹部を革命軍幹部が出迎え、握手を交わし、談笑するリール動画にも思わず目を見張った。
南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。ビルマ文学研究者・翻訳者。