
2025年6月30日
時おりSNSに古い映像が流れる。先日、首都ネーピードー近くの河川決壊の映像をシェアしたら、マンダレーの作家Y2から「1年前のものです」とのコメント。あわてて削除して、「ありがとう。くれぐれも気を付けて」とメッセージすると、「再会の機会に備え、ともに健康に留意しましょう」と返してきた。言外の意味は「勝利の暁に再会しよう」だろう。
そのあとほどなく、66歳の詩人サヤー・チャウンが昨年12月16日にカレンニー州の州都ロイコーで戦死したと伝える映像を目にした。2017年2月の満天の星の下、ロイコーからディーモーソウに南下する道路沿いの村の屋台で、彼はどぶろく片手に淡々と我々に語った。シャン人の母と中国人の父の間に生まれ、この地で育った。88年民主化闘争時に教師を辞め、学生たちが2か月間樹立した市の行政機関を指導した。90年選挙では、遊説に来たアウンサンスーチーの護衛を務めた。その後、多くの活動家がこの道からタイに逃れ、彼も誘われたが、留まったという。その後も彼は、様々な局面で民主化闘争を支え、優れた調整力を発揮し、21年の「国軍」の政権簒奪後は、KNDF(カレンニー諸民族防衛隊)の要職にあったらしい。死の2日前、壇上に座るその長髪姿はどこか飄逸で、全く軍人らしくなかった。彼の足跡はいま、カレンニー州の大半を占める解放区の行政の中に生きる。
さて、6月19日はアウンサンスーチー80歳の誕生日だった。在英の次男キムの呼びかけでSuu 80 Birthday Campaignが始まり、寄せられた祝福動画が10万を超えてギネスを申請中だ。19日前後のSNSは、世界各地と国内各地からの、薔薇の写真や薔薇を挿したアウンサンスーチーの写真や似顔絵で溢れた。薔薇を髪に挿した女性が、23年には130名、24年には20名(ミャンマー便り23年7月3日同24年6月28日参照)逮捕された。今年の逮捕者は現在、SNSに投稿したエーヤーワディー地域の女性3名と首都の広報局女性職員、そしてマンダレー市の男女2名にとどまる。祝福の発信地域も拡大した。ザガイン地域カレー郡やカレン州パヤートンズー市(同25年2月28日参照)では祝福デモが見られた。同市はKNU(カレン民族同盟)が行政を施行中だという。マンダレー市内の青空市場では、突如若者たちが現れてビラをまき、ボードを手に反軍事独裁を訴え、市民の拍手を背に立ち去った。ヤンゴンの陸橋には「80だ!愛してる!」との横断幕がかかった。こうした変化は、NUG(国民統一政府)国防省の内地への移動にともなう攻勢と無関係ではあるまい。
一方Myanmar Prison Witnessの28日の報告では、アウンサンスーチーは24年4月にネーピードー刑務所から「国軍」司令部に近い施設に移され、面会も差し入れも禁じられている。歯と心臓の疾患と年齢相応の体調不良をかかえるが、「国軍」の許容する医療行為しか認められない。震災で左腕を負傷したとの説もある。また18日には英国ガーディアン紙が、彼女の映る監視カメラのビデオ記録の入手を公表した。それらは22年8月と12月に撮影され、彼女とウィンミン大統領が裁判所に座る映像も含む。午前4時半から午後8時半に撮影された刑務所内の映像は、彼女が毎朝1時間余り瞑想し、午後は運動のため室内を歩行し、毎日数珠を爪繰り、朝食は卵焼き、昼食はご飯少々と肉や魚、夕食にはパンを食べる様を伝えたという。今年12月に中国の援助のもと総選挙を実施すると豪語する「国軍」が、そんな彼女を何らかの切り札に使おうと目論んでいるのは明らかだ。
空爆と余震は連日続き、水害がそれに追い打ちをかける。震災復興は進まず、「国軍」側の戦死者と捕虜と投降者は増加の一途だ。25日の独立系メディアのインタビューでKNDF副軍務局長ミンダーが、空爆直後に「国軍」の捕虜たちが逃亡もせず、一緒に消火を手伝ってくれたと、笑いながら語っていたのが印象的だ。彼もまたさわやかな長髪男子だった。
南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。ビルマ文学研究者・翻訳者。