
2025年3月30日
3月16日のビルマ問題学習会会場で、ビルマ茶が入手できた。ブランド名は「叛徒」(ビルマ語ダボン)で、生産者はロイコーPDF(人民防衛隊)だ。ロイコーは、カレンニー州(ミャンマー便り2024年7月31日参照)州都だ。「叛徒」という呼称に、人々は馴れ親しんできた。テインペーミン(1914-78)(便り24年11月25日)は、1937年出版のタキン・コウドーマイン(1876-1964)伝の序文で、ビルマ族王朝下の叛徒作家の存在を挙げ、コウドーマインをその流れに繋がる偉大な叛徒作家だと称えている。
時を経た今年2月7日、独立系メディアが「叛徒詩人死す」との見出しで、ナインミャンマー(68歳)の死を悼んだ。彼は16歳から仕事の傍ら詩や曲を書き始め、80年代初頭に作詞作曲家として成功した。彼が遺したのは、有名歌手の持ち歌から未発表作品まで、1000曲以上にのぼる。最も有名な歌は、「世界が砕け散らない限り我々の革命は終わらない」(ビルマ語ガバーマチェーブー)だろう。オリジナル曲ばかりの中で、これだけは旋律の一部を米国のロックグループKansasの“Dust in the Wind(1977)”に依拠したと、彼は明かす。情勢が緊迫していて、作曲に十分な時間が取れなかったのだ。
88年9月、クーデターが民主化闘争を圧殺する数日前、男女学生13名から成るアマチュア合唱団と3名のアマチュア楽団が、ヤンゴンの安スタジオで、この曲をカセットテープに録音し、デモや集会で演奏した。曲の冒頭でも歌われるタイトル部分は、「世界が砕け散らない限りビルマは滅びず」というビルマ国歌の一節のパロディだ。歌は3部構成だ。
「我々の血で描かれた叙事詩/革命/民主化闘争で散った/英雄たちよ/殉難者たちが住む国家/炎にも似て勇敢な我が国民」「コウドーマインよ/歴史は残酷でした/タキン・アウンサンよ/国家も血に染まりました/よくぞ惨いことがやれるものです/路上に国民の亡骸が/累々と折り重なっているのです」「兄弟たちよ/路上に流れた血は/未だ乾かない/躊躇するな/民主化闘争で散った/英雄たちの如く/徹底的に断固/革命を成就せよ/愛国的我らが殉難者たち」
9月クーデター後ナインミャンマーは逮捕され、拷問で肋骨を1本へし折られて、釈放された。2011年の「民政移管」後、この歌はデモや集会などで歌われるようになった。わたしが初めて聴いたのもその頃だ。21年の違法な「クーデター」への抗議行動でも、この歌は必ず歌われ、第二の国歌の様相を呈した。23年5月、ヒップホップ歌手の息子が逮捕されると(便り23年9月4日)、ナインミャンマーも潜伏し、心臓発作で急死後に無言の帰宅を果たした。「世界の詩の日」の3月21日、21年から25年に散った詩人80名のリストがフェイスブックに投稿された。惨殺された詩人とともに彼も名を連ねていた。
27日は抗日統一戦線決起80周年記念日だった。記念日の名称を「革命記念日」から「国軍記念日」に変えた「国軍」は、首都でパレードを行った。一方NUG(国民統一政府)は、新しい反ファシスト革命の時代が到来したと述べ、民族・国民の団結を促した。翌28日、彼らをマグニチュード7.7の地震が襲った。震源地は中部ザガイン市で、古都マンダレー市のすぐ西だ。フェイスブックは救援を求める声と、救援を申し出る声で溢れた。29日、首都刑務所のアウンサンスーチー生存情報が流れた。30日現在死者は1600名余だが、1万を超すと予測される。「国軍」は国際機関からの支援物資受け入れを約束したが、過去の災害時同様、必要な人々に届いていない。NUGは、人道支援活動を進めるため30日から2週間の戦闘一時停止を発表した。「国軍」の空爆は連日続いている。解放区に救援物資は届くのか。情報の収集と拡散に没頭して気が付くと、知恵袋の潜伏作家K2(便り22年7月12日)の定期便が29日から止まっていた。潜伏先は聞いていない。生きていてほしいけれど。
南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。ビルマ文学研究者・翻訳者。