空を飛んできた本たち

2024年3月28日

 「クーデター」以来二度目の宅急便が届いた。本が24冊だ。着払いだが、少々手間がかかった。ヤンゴンから届いた送り状の写真を東京のビルマ人業者に転送し、料金を彼らの口座に振り込み、振り込み明細の写真を彼らに送って出荷となる。本たちは空を飛び、10日後にやってきた。品名が「食品」となっているのもビルマ的だ。「本」と書けば警戒されるのだろうか。2002年の3か月の滞在時、収集した資料や本を自宅に送るのに苦労した記憶がよみがえった(『ビルマ文学の風景』p.192参照)。
 20冊は詩集『苦難伝』(便り23年4月1日参照)だ。1年前に詩人Sが潜伏先の隣国から100冊送ってくれたときも、送金には四苦八苦した。今回は出版元である詩人Mの社で調達してもらった。昨年来、日本の詩人たちと不思議なご縁で繋がり、二人の詩人がそれぞれ『苦難伝』書評を書いて下さるという。本が残り少なくて、急遽取り寄せたのだった。
 残る本のうち3冊は、この1月に出た『マウン・ターノウ追悼集』だ。詩が4編、随筆が37編収録される。わたしもマ・パンケッのビルマ名で「40年余の友情」と題する随筆を寄せた。2冊は原稿料代わりと思われる。今は亡き作家ニープレー(便り23年7月3日参照)に頼まれて原稿を完成したのは、23年2月1日だった。出版は彼の経営するマンダレーのルードゥ(人民)社だ。巨星マウン・ターノウ(1932-2022)(『ビルマ文学の風景』p.76参照)は英語も堪能で、外国文学のビルマ語訳からビルマ文学の英訳までこなし、詩集や文芸評論など80冊余を出版してきた。追悼集の執筆者には外国人が多数含まれるかと思いきや、わたしひとりだけだった。
 残る1冊は不定期刊の文芸誌『ウダンティッ(新たな歓声)』だ。昨年5月に創刊され、8号まで発行されている。手元に届いたのは1月発行の7号だ。2011年の「民政移管」や翌12年の検閲解除の中で、詩や短編の発表の場がSNSに移り、月刊誌の低迷が続いた。貸本屋はつぶれ、コロナ渦中雑誌そのものが姿を消した。詩10編、短編11編、随筆11編、長編1編、連載長編1編などを収めた『ウダンティッ』は、久しぶりの雑誌らしい雑誌だ。書き手には、懐かしい面々から実力派新人まで揃え、その充実ぶりも頼もしい。
 宅急便の送り手は亡き詩人Lの妻だ。Lの遺志を継いでわたしの研究を支えたいと、近頃言い出した。時が悲しみを癒したのか。いや、彼女の立ち直りはむしろ、徴兵制(便り23年2月20日参照)と連動しているかに見える。いま彼女は24歳の息子を守ることに心を砕いている。彼女だけではない。全国の親子が「国軍」の愚挙への静かな怒りをたぎらせる。それは、「国軍」派政党の支持者の中にもひたひたと浸透していく。
 「国軍」は、3月12日に予備役法施行細則をも制定し、15日には正確な徴兵名簿の作成を指示した。金を調達できる親は子を外国に送る。ヤンゴン国際空港はそんな若者で溢れる。行政の動きは各地でばらつきがあるが、名簿登録者選考はくじ引きが多い。エーヤーワディー地域では、くじに当たった17歳(徴兵対象は18歳からのはずだ)が3月18日に服毒自殺を、マンダレー地域では27歳が25日に首つり自殺をした。バゴウ地域の人口1000名の村は、24-30歳の160名をくじで選び、選考に漏れた所帯には毎月1万チャットの支払いを課した。公式には課金の制度はない。機に乗じて行政機関が裏金作りを企んでいるのだ。また各地で軍や警察による若者たちの拉致が横行し、行方不明者も多い。引き取るにも数十万チャットが要求される。実はすでに前倒しで徴兵は始まっている。国籍をはく奪されたはずのロヒンギャ・ムスリムが、ラカイン州で強制徴用され、前線で多数死亡している。
 一方、行政機関の責任者を対象とした革命勢力の制裁も頻発している。ラカイン州では村落行政責任者72名が辞任した。ヤンゴンでも徴兵推進者の名簿が出回り、制裁を怖れて辞任する者や、潜伏する者が相次いでいる。戦場では「国軍」の逃走、投降、戦死が続出している。3月7日からの0307作戦で、KIA(カチン独立軍)がカチン州の30余の「国軍」基地を占拠した。その分空爆も絶えない。AA(アラカン軍)が8都市を制圧したラカイン州では、3月中旬の一週間で市民31名が死亡した。中央部における歩兵部隊による殺戮や焼き討ちも後を絶たない。国内避難民は一説には280万を超えた。
 未曽有の辛酸を共有した国民が憎悪を巨大化させる中、3月27日の「国軍記念日」が訪れた。1945年にビルマ軍が抗日決起した日である。厳戒態勢の首都で挙行された式典では、行進する兵士の数が昨年より減少し、女性兵士が増加したという。彼らは来年もこの日を迎えるつもりなのか。ちなみに、近隣国の首都でコンドミニアムが多数購入され、彼らの上層部が逃走準備中だと囁く向きもある。

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。