3年という歳月

2024年2月20日

 2021年のクーデターという名の違法な政権簒奪から丁度3年がたった2月1日、各地で10時から16時の外出を控えるサイレント・デモがおこなわれた。ヤンゴンでは、街を撮影中の若者3名が拘束され、仏教組織マバタ(ミャンマー愛国協会)が「国軍」支持集会とデモを賑々しく行い、翌日のフェイスブックは深閑とした町々の写真で賑わった。
 それに先立つ2020年3月、わたしは45回目の訪問を終え、日本の言論状況に関する評論と、ビルマ女性の手記を編集した書籍用原稿を預け、最後の訪問になるとは露知らずヤンゴンを発った。その後コロナ禍で出版界が停滞し、評論を預けた雑誌は休刊となった。編集長の作家M(便り2022年10月3日参照)は、いつしかヤンゴンから姿を消した。雪景色の中に立つ彼の写真をフェイスブックで見かけたが、どこにいるのかは尋ねていない。書籍の印刷を頼んでいた詩人M(便り2023年4月1日参照)の出版社は、今も粛々と詩集や実用書の出版を続ける。何事も起こらなければ、わたしは雑誌に投稿を続け、それをまとめて2冊目のビルマ語評論集も出していたはずだったなどと、繰り言はいうまい。なにしろ、未来を奪われたミャンマー市民の3年間の艱難辛苦は言語に絶するのだから。
 この3年という歳月は第一に、非人道的戦争犯罪からオンライン詐欺まで、「国軍」の悪業を白日の下にさらした。第二に、不服従の民の粘り強い非暴力の闘い、Z世代の活躍、NUG(国民統一政府)の登場、自衛のための武装闘争におけるPDF(人民防衛隊)と少数民族、あるいは少数民族同士の共同行動を生んだ。世界各地のミャンマー市民がこの闘いを支援した。すべてが現代史上類をみない出来事だ。これが真の連邦制民主国家創設につながるかは、彼らの団結へのたゆまぬ努力次第だろう。
 たしかに、連日悲惨な情報は流れてくる。昨年11月にザガイン地域でPDFの若者2名が囚われ、針金で縛られ、生きたまま焼き殺される映像が、2月に入って出回った。2月5日には、カレンニー州ディモーソウ郡の学校が空爆され、子供を含む7名が死亡した。市民の死者は4500名を超えた。OCHA(国連人道問題調整室)は、難民を含めて1760万人に人道支援が必要と推計するが、支援が届いたのは五分の一にすぎないという。一方「1027」作戦(便り2023年11月20日12月25日参照)以来、「国軍」の軍事的凋落は加速した。1月末にはパオ族、2月14日にはモン族など、「軍事政権」と停戦していた武装組織が軍事独裁に反旗を翻している。8日にはラカイン州でAA(アラカン軍)が「国軍」の軍艦3隻を撃沈し、将官を含む700名が死亡した。これも「国軍」史上未曽有の出来事だという。
 追い詰められた「国軍」は、切り札として10日に徴兵制施行を発表した。除外項目はあるが、男子は18歳から35歳、女子は18歳から27歳を対象とする。もはや「国軍」はほぼすべての市民を敵に回したといえる。「国軍」実効支配地域では若者の逮捕・拉致も絶えない。市民の選択肢は、賄賂を使って対象者名簿から名前を外させるか、外国へ出るか、徴兵を拒否して5年の刑に服するか、革命勢力の部隊に入るかだ。13日、NUGは徴兵制に法的根拠がなく、従う必要はないと述べ、各地の25の武装組織が新兵募集とその照会先を公表した。PDFヤンゴン司令部は12日に新兵募集を始めたが、12時間で2000名近くが申請し、48時間で定員を超えそうになり、早々と募集打ち切りを告げた。
 そんな折しも、入退院を繰り返していた詩人ヘインミャッゾー(53歳)が、11日に多臓器不全で世を去った。マンダレー生まれで、中学時代に詩に興味を持ち始め、友人と手書き詩集を出した。1991年から雑誌に詩が掲載され、共著を含む10冊の詩集を出した。97年からヤンゴンに出て,出版社を立ち上げた。詩人仲間に愛された。フェイスブックに寄せられた50名近い詩人たちの追悼文は、早速冊子となって翌日の野辺送りで配られた。その中で彼の息子のアーティストKが、父の人生は待つことに終始したが、ようやく待つことを終えたのだと述べていたのが印象的だ。彼は、この3年の歳月の大半を占める1年10か月を刑務所で過ごし、恩赦で出獄していたのだ。ヘインミャッゾーの詩は大胆さと繊細さを併せ持ち、時代にも鋭く切り込んだ。詩集『大雨が降った後』(2008)の中の「この詩はこれにて終わる」が、わたしの訳で『二十一世紀ミャンマー作品集』(大同生命国際文化基金2015)に収録される。そこで彼は次のように結ぶ。「麻酔薬をかがされた/とりわけこんな二十一世紀/呼吸することを忘れているこの詩/これにて終わらねば/滑り落ちてゆく/大きな太陽を見て/この詩はこれにて終わる」と。詩だけではなく、彼は苦渋に満ちた歩みを終えた。実は、彼には尋ねたいことがたくさんあった。損失の大きさに胸ふさがれる日々だ。

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。