苦難伝

2023年4月1日

 詩人Sが詩集『苦難伝』(ビルマ語・英語・日本語)を完成させ、写真を送ってきた。奥付には5月出版とある。日本語は私の担当だ(便り2022年10月3日参照)。「フェイスブックでシェアしていい?」と聞くと、「Mに聞いてみます」という。詩人Mの出版社にはわたしの本の印刷・発売でも世話になった(便り2022年5月30日参照)。「軽く説明をつけてシェアするだけなら、、、」と、Mは慎重な構えを見せた。
 「我々の本がもうすぐ出ます」と英語でシェアした。たちどころに124名から「いいね」が来た。大半がミャンマー市民だ。「読みたい」というコメントに、「近々本屋に並びます」と返した。その後Mが本を宣伝した形跡はない。かわりにわたしが以前出した2冊をアップしていた。「時節柄あの本の宣伝はご勘弁を」という意味かもしれない。
 ともかく完成を喜ぼう。31編を収録するが、通常の詩集とは体裁が異なる。詩の掲載誌名はない。7編を除き執筆時も明示されない。文末には奇妙な数字が入る。たとえば「ご健勝で」という詩は、「きりきりした痛みに耐えかねて/この頭痛薬を/飲もうとして俺は思い至った/自分より/頭痛がひどい国家のために/半分に割って取っておいてやった 28121」という具合だ。この数字は2021年1月28日を示すのか。仮にそうであれば、収録作品の執筆あるいは発表年内訳は、1999年2000年2002年2006年2015年2017年各1点、2019年9点、2020年10点、2021年6点となる。国軍という名の利権的暴力集団が政権を簒奪した2021年2月1日以降の作品も、2点含まれることになる。
 「不安のみならず/焦げ臭さにも/耐えねばならない 161221」「声を出さずに嗚咽する/ 僕らの時代の空に違いない 231021」と、言葉の断片にきな臭さと慟哭が溢れ出る。「民政」移管が投資の呼び水となり、一部の人びとが浮かれていた2010年代の詩にも閉塞感が漂う。なにしろ、議席の四分の一を軍人が占め、国防・内務・国境担当各大臣を総司令官が指名すると定めた2008年憲法を改正しない限り、真の民主化実現は不可能だったのだから。
 英訳は有名な詩人Zで、我々3人の似顔絵が入る。Zもわたしも本名しか出ていない。訳者に累が及ばないようSが配慮したのか。私の本名はミャンマー市民に覚え辛いから、知る者は少ない。と思ったら、ブレヒトの詩を訳して毎日アップする医師で詩人・作家のM3が、わたしのビルマ語名入りで詳しい紹介文をアップした。早速本を入手したのだろう。
 昨年末の校正時、奥付に3月出版と記されていた。「検閲に出さないの?」と聞くと、必要ないという。政権簒奪から2年近く過ぎても暴力集団は、2012年に廃止された検閲を復活させていない。1988年9月に民主化闘争を弾圧して登場した軍事政権SLORC(国家法秩序回復評議会)は、10月に出版物の検閲を強化し、89年6月には全印刷物の検閲と登録の必要性ならびに法規に違反した出版社への断固たる措置を宣言した。出版社の手入れや印刷業者の逮捕も相次いだ。彼らは選挙で正式の代表が選ばれるまでの暫定政権を標榜しながら、90年選挙でNLD(国民民主連盟)が圧勝した後も政権に居座り続けた。91年には出版物の見開きに政権スローガンも登場させた。現在の暴力集団は、自身のメディアやSNSのチェックに手一杯で、出版物検閲要員が確保できないのだろうか。
 彼らは3月28日に政党登録を締め切り、10月に国勢調査実施後、「やり直し選挙」を目論む。一方2月に戒厳令を出したザガイン地域、カチン州、カレンニー州などでは戦術を転換して、凄惨な焼き討ちや殺戮を展開する。ザガイン地域では、昨年5月に29名の村民を殺害したトゥンリンアウン中佐配下の虐殺部隊が、2月末から3月初旬に60名近くを惨殺した。うち4名のPDF(人民防衛隊)隊員は頭部が切断され、猟奇性をうかがわせた。シャン州ピンラウン郡では、3月11日に寺院に避難中の村人30名と僧侶3名が惨殺された。村は首都ネーピードーから50マイルの地点だ。その村の40マイル南方カレンニー州ディモソウ郡では、20日から23日の戦闘で、将校を含む暴力集団の90名が死亡、50名が負傷した。援軍が急遽編成されたが、隊長は軍の刑務所入りを覚悟で出撃を拒否したという。
 同じ23日、隣国の軍隊が国境の町のPDF潜伏先を襲撃した。200名が逃れたが、逮捕者も出たらしい。その町から『苦難伝』が100冊届いた。奇しくも抗日記念日(国軍記念日)の27日のことだ。Sもあの町に潜んでいたのだろうか。20日を最後に連絡が途絶えた。持病も抱える身だ。逃げ足も速くはあるまい。無事を祈る日々が続く。
 

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。