国境のゲリラ

2022年6月20日

 

 「鳥のように巣を作り ゲリラたちは暮らす 蛇のように這いまわり ゲリラたちは移動する 二つの国の垣根に 蔦のように巻きついて生きのびながら」
 5月のある日、RFA(Radio Free Asia)から朗読が流れてきた。詩人Yが数日前にフェイスブックに投稿したばかりの詩「国境のゲリラ」だ。RFAは朝晩30分間、ワシントンからビルマ語放送を流す。国軍という名の利権的暴力集団が政権を不当に簒奪した昨年2月以降、いつのころからか週一回詩が朗読されるようになった。朗読者は作家のKだ。
 「今週は、様々な方法で闘う人々の中から、ゲリラ戦で闘う人々の日常を描いた詩を紹介します。、、、、ゲリラ戦は味方より戦力が勝る相手との戦闘で用いられます。それは、味方の被害を最小限に食い止めて強大な敵を殲滅する方法です。いま、ミャンマーの政権を武力で簒奪した軍に抵抗して、軍事独裁を打倒するたたかいに参加しているのは市民です。市民が手近の武器を手に、長年にわたり国家を意のままにしてきた武装集団にたたかいを挑む際、このゲリラ戦も一つの戦術として用いられるのです」と、彼女は丁寧に解説する。
 逮捕を逃れた議員らが結成したCRPH(Committee Representing Pyidaunsu Hluttaw 連邦議会代表委員会)は、昨年4月にNUG(National Unity Government of Myanmar 国民統一政府)を発足させ、5月にはPDF(People Defense Force 人民防衛隊)の結成を宣言した。平和的抵抗運動に従事した都市部の若者たちも少数民族解放区へ逃れ、武装訓練を受け、前線に出ている。山岳地帯では、地元民が猟銃や手製の武器で暴力集団と闘う。連日フェイスブックで流れる暴力集団側の死者数は、防衛隊の戦死者数をはるかに上回る。実戦では旗色が悪いと思い知った暴力集団は、空爆や重火器砲撃で寺も教会も民家も焼き討ちにした。それでも市民が屈服する気配はない。暴力集団将兵や警官の戦線離脱も続く。NUGは9月、暴力集団の非人道的犯罪行為から市民を防衛する闘争に入ったことを宣言した。
 「国境線沿い 電灯の光が届かない闇に ゲリラたちは馴れ親しむ 茂みはゲリラたちの友 小鳥の声はゲリラたちの音楽 ゲリラたちの前に コンクリートの防御壁はない ゲリラたちの食卓に 美食はない わかっている 敵が国の資源を湯水のように使っているのは わかっている ゲリラたちが国民の汗の結晶で持ちこたえているのは、、、後略」
 少年の面影を残したYの顔がちらつく。彼はインド国境の町タムーに住む。2015年2月、タムーの詩人たちが会いたがっているというので、わたしは詩人Lの車でヤンゴンから3日かけて885キロを北上した。ザガイン地域の中ほどにあるタムーは、西はインド・マニプール州のモーレに接し、住民は日中なら国境を越えて往来できる。市場は中国製品があふれ、インドから買い出しの人々で賑わっていた。インドの武装少数民族も出没するらしい。人口約3万5千のこの小さな町からインパールまで80キロだ。
 到着してすぐわたしは、前年12月のライブで集めた支援金を町はずれの寺院に届けた。そこには、戦火を逃れシャン州からやってきた男児18名が住み、勉学に励んでいた。夜は6名の詩人と会った。彼らはわたしを質問攻めにした。中でも熱心なのがYだった。わたしは詩人Lの2冊目の詩集『といふ者』(2013)に寄せた序で「近代的自我」に言及していた。Yはそれを読み、『世界の詩の日 記念詩集』(2014)に「ぼくの自我」という詩を寄せていた。記念撮影でもYはちゃっかりわたしの隣に収まった。彼らは、タムー詩人グループ編『アウンサン将軍生誕100周年記念詩集』(2015)に寄せ書きをして、進呈してくれた。
 我が国某メディアはミャンマーの現状を「泥沼」と報じたが、タイを訪問中のアメリカ外務省顧問は6月9日、アセアンにNUGとの連携を要請した。それは現状に対する彼の一定の認識を物語るだろう。6月15日現在で暴力集団が殺した市民は1954名(うち子供142名)。これらは戦闘の死者を含まない。拘束者は14061名(うち子供1400名)。死刑判決114名。うち4名に執行命令。焼き払った家屋は19000棟余(うちザガイン地域12987棟)。国内避難民は120万余。市民たちは息をひそめながら防衛隊を支援し、暴力集団崩壊の日を待ち続ける。6月14日、ザガイン地域の解放区ではNUG教育省主催の体育祭が挙行された。RFAは競技に興じる子供たちの姿を報じた。
 1981年生まれのYは、実戦に加われるほど若くない。学齢期の子供の父親でもある。しかしフェイスブックに載せた迫真の戦闘場面からは、彼が防衛隊と行動をともにしていることがうかがえる。「6月のライブであの詩を朗読させてくださいね」と頼んだら、「承知いたしました、先生」と、すぐに礼儀正しい返事が戻ってきた。

 


 

南田 みどり(みなみだ みどり)=1948年兵庫県に生まれる。大阪外国語大学外国語研究科南アジア語学専攻修了。大阪大学名誉教授。同外国語学部非常勤講師としてビルマ文学講義も担当中。